耕太とちずるの~
耕太とちずるの羅生門
1
へくちっ。
大きな大きな門の下、下人はくしゃみをした。
ぶるりと震えながら、夕闇のなか降りそそぐ雨を見つめ、彼は思う。
「これからぼく、どうしよう……」
下人の名は、耕太。
小山田耕太である。
そして門の名は、羅生門。
かの有名な、京の都と外とをへだてる、平安京の正門である。
この年の京の都は、地震やら火事やら飢饉やら米国のサブプライムローンに端を発した世界同時恐慌の影響やらで、もうえらいこっちゃであった。
実際、耕太も主人からリストラの憂き目にあった。
現在と違い、当時の京都に、ハローワークはない。
雇用保険だってない。
というわけで、耕太は雨のなか、行き場もなく、羅生門の下、ぽつんと座っていたりするのであった。
「ホント、どうしよう……」
もうそろそろ、冬も近い。
いまだってほら、降りしきる雨のせいもあるだろうが、染みいる寒さで、自然と身体が震えてくる。
なのに、帰る家すらない。
傘もない。
くすん。
なんだか耕太は泣けてきた。
自然と姿勢も体育座りになってきた。
「ぼく、強盗なんてできないし……」
いままで貴族の下人だったわけで、腰には刀ぐらいある。
が、耕太はその刀を使って人を襲うことなんて、とても考えられなかった。
しかし、やらねば生きてはいけぬ。
生きていけねば、死ぬしかなかろう。
「死ぬのは……ヤダなあ」
耕太はうつむいた。
「でも悪いことも、したくないなあ……」
体育座りでうつむき、しばらく、さめざめと泣いた。
なんてぼく、かわいそうなんだろう。
しくしく。
しくしく。
しくしく。
しばらくそうやって自分をなぐさめてから、耕太は顔をあげ、袖で涙を拭った。
「と、とりあえず、今日の宿をどうにかしなくちゃ」
きょろきょろとあたりを見回し、見つけた。
それは、羅生門の二階へと続くはしごだった。
もし二階を使えるようなら、ちょっと貸してもらおう……ちょっとじゃなくて、しばらくになるかもしれないけど……ぐー、と鳴るおなかを押さえながら、耕太は朱色のはしごへと向かった。
雨は、すっかり暗くなった京の都に、いまだ静かに降りそそいでいた。
2
「あーん、耕太くん、かわいそー!」
「ぬはっ!」
おそるおそる、耕太が朱色の階段をのぼり、二階へと顔を覗かせた、とたんのことだった。
かすかに揺らぐ灯火の光のなか、女がヘッドスライディングで飛びこみ、耕太の首根っこに抱きついてきたのは。
「だいじょうぶ、もうだいじょうぶだよ!? ちずるがいるからね? 住む場所も、あったかいおふとんも、熱々のおふろも、おいしーいごはんも、ぜーんぶ用意してあげるから! もちろん、わたし自身もセットにつけて……やだ、なにいわせるのよう、耕太くんったら!」
ぎゅー、と女は抱きしめてくる。
うがが。
締まります締まります。
ギブ。ギブギブ。
「あ、ご、ごめんなさい」
ぱっ、と締めつけていた腕を放してくれた。
「だって、ずっと待たせるんだもん……この寒いのに、耕太くん、風邪引いちゃうかと思って心配しちゃったじゃない。だめだよー、耕太くん。演技に熱、入りすぎー」
「え、演技とか、おっしゃる意味がぼく、よくわかりません!」
軽く咳きこみながら、耕太はいった。
「だ、だいたいあなた、だれなんですか?」
「わたし? わたしは老婆役の源ちずるちゃん」
自分を指さし、女はにっこりと微笑む。
「ろ、老婆役って……うえ?」
もうどこからつっこんだらいいのかわからない耕太の前で、なぜか源ちずると名のる老婆は、いそいそと着物の帯をほどきだし、そのとても老婆には見えない、ぬちっ、としたみずみずしくも脂の適度にのった肌をあらわにしだした。
「な、なにを!? あなた、なにを!?」
「うん? だってほら、下人役の耕太くんは、ここで死体の髪の毛をとってかつらにして売るんだー、とかいってる老婆役のわたしの着物を、『だったらおれが追いはぎをしても恨むんじゃねーぞ』って剥いでいくでしょ? だから、手間がかからないように脱いでるの」
「待った! お願いだから待った! ストップ! ドントムーブ!」
ぴた、ともうあとは肩から着物を滑り落とすだけ、となったちずるが、その手の動きを止めた。
手の動きを止めながらも、「どして?」と首は傾げる。
そのわずかな動作だけで、するん、と着物の前がはだけ、ちずるの羅生門があやうく――。
「そ、それは、ぼくが追いはぎになるのは、いろんな細々としたやりとりのあとなわけで、ですから、こういうのはきちんとやってからのほうがいいと思われるわけで、だいたい、べつに本当に着物を剥ぐ必要もないと思われ、ですからして」
耕太は朱色の羅生門から視線を背けつつ、いった。
羅生門というより……藪の中?
「なーにいってるの、耕太くんったら」
いまだ耕太の身体ははしごにあり、首だけを羅生門二階の間へとだしていた。
その耕太の顔へ、半裸のちずるがあらためて抱きついてくる。
耕太の鼻が、ちずるの大きなふた山の芋粥へ。
Quax, Bag, quo quel, quan?
そのまま、ずるりと耕太の身体は二階へと引きずりあげられた。
「時代はITよ? スピードこそが命なのよ? そんな悠長なこといってたら、のりおくれちゃうよ? のるしかない、このビックウェーブに!」
「いまの時代は平安時代ですぅ!」
この耕太の声は、音としては発せられなかった。
ちずるのふたつのビックウェーブにすべて吸いこまれ、ふごふが、としか伝わらない。
かくして下人、耕太は、老婆、ちずるに襲われ、耕太の蜘蛛の糸はすっかり地獄変、あばばばば、となるのであった。
下人の行方は、誰も知らない。
★ ★ ★
よろしかったら、原作版(?)もどうぞ。
できれば本のかたちで読んでもらいたくもありますが、青空文庫は手軽でよろしいかと存じます。
青空文庫
芥川龍之介 羅生門
そのまま読める版
図書カード
1
へくちっ。
大きな大きな門の下、下人はくしゃみをした。
ぶるりと震えながら、夕闇のなか降りそそぐ雨を見つめ、彼は思う。
「これからぼく、どうしよう……」
下人の名は、耕太。
小山田耕太である。
そして門の名は、羅生門。
かの有名な、京の都と外とをへだてる、平安京の正門である。
この年の京の都は、地震やら火事やら飢饉やら米国のサブプライムローンに端を発した世界同時恐慌の影響やらで、もうえらいこっちゃであった。
実際、耕太も主人からリストラの憂き目にあった。
現在と違い、当時の京都に、ハローワークはない。
雇用保険だってない。
というわけで、耕太は雨のなか、行き場もなく、羅生門の下、ぽつんと座っていたりするのであった。
「ホント、どうしよう……」
もうそろそろ、冬も近い。
いまだってほら、降りしきる雨のせいもあるだろうが、染みいる寒さで、自然と身体が震えてくる。
なのに、帰る家すらない。
傘もない。
くすん。
なんだか耕太は泣けてきた。
自然と姿勢も体育座りになってきた。
「ぼく、強盗なんてできないし……」
いままで貴族の下人だったわけで、腰には刀ぐらいある。
が、耕太はその刀を使って人を襲うことなんて、とても考えられなかった。
しかし、やらねば生きてはいけぬ。
生きていけねば、死ぬしかなかろう。
「死ぬのは……ヤダなあ」
耕太はうつむいた。
「でも悪いことも、したくないなあ……」
体育座りでうつむき、しばらく、さめざめと泣いた。
なんてぼく、かわいそうなんだろう。
しくしく。
しくしく。
しくしく。
しばらくそうやって自分をなぐさめてから、耕太は顔をあげ、袖で涙を拭った。
「と、とりあえず、今日の宿をどうにかしなくちゃ」
きょろきょろとあたりを見回し、見つけた。
それは、羅生門の二階へと続くはしごだった。
もし二階を使えるようなら、ちょっと貸してもらおう……ちょっとじゃなくて、しばらくになるかもしれないけど……ぐー、と鳴るおなかを押さえながら、耕太は朱色のはしごへと向かった。
雨は、すっかり暗くなった京の都に、いまだ静かに降りそそいでいた。
2
「あーん、耕太くん、かわいそー!」
「ぬはっ!」
おそるおそる、耕太が朱色の階段をのぼり、二階へと顔を覗かせた、とたんのことだった。
かすかに揺らぐ灯火の光のなか、女がヘッドスライディングで飛びこみ、耕太の首根っこに抱きついてきたのは。
「だいじょうぶ、もうだいじょうぶだよ!? ちずるがいるからね? 住む場所も、あったかいおふとんも、熱々のおふろも、おいしーいごはんも、ぜーんぶ用意してあげるから! もちろん、わたし自身もセットにつけて……やだ、なにいわせるのよう、耕太くんったら!」
ぎゅー、と女は抱きしめてくる。
うがが。
締まります締まります。
ギブ。ギブギブ。
「あ、ご、ごめんなさい」
ぱっ、と締めつけていた腕を放してくれた。
「だって、ずっと待たせるんだもん……この寒いのに、耕太くん、風邪引いちゃうかと思って心配しちゃったじゃない。だめだよー、耕太くん。演技に熱、入りすぎー」
「え、演技とか、おっしゃる意味がぼく、よくわかりません!」
軽く咳きこみながら、耕太はいった。
「だ、だいたいあなた、だれなんですか?」
「わたし? わたしは老婆役の源ちずるちゃん」
自分を指さし、女はにっこりと微笑む。
「ろ、老婆役って……うえ?」
もうどこからつっこんだらいいのかわからない耕太の前で、なぜか源ちずると名のる老婆は、いそいそと着物の帯をほどきだし、そのとても老婆には見えない、ぬちっ、としたみずみずしくも脂の適度にのった肌をあらわにしだした。
「な、なにを!? あなた、なにを!?」
「うん? だってほら、下人役の耕太くんは、ここで死体の髪の毛をとってかつらにして売るんだー、とかいってる老婆役のわたしの着物を、『だったらおれが追いはぎをしても恨むんじゃねーぞ』って剥いでいくでしょ? だから、手間がかからないように脱いでるの」
「待った! お願いだから待った! ストップ! ドントムーブ!」
ぴた、ともうあとは肩から着物を滑り落とすだけ、となったちずるが、その手の動きを止めた。
手の動きを止めながらも、「どして?」と首は傾げる。
そのわずかな動作だけで、するん、と着物の前がはだけ、ちずるの羅生門があやうく――。
「そ、それは、ぼくが追いはぎになるのは、いろんな細々としたやりとりのあとなわけで、ですから、こういうのはきちんとやってからのほうがいいと思われるわけで、だいたい、べつに本当に着物を剥ぐ必要もないと思われ、ですからして」
耕太は朱色の羅生門から視線を背けつつ、いった。
羅生門というより……藪の中?
「なーにいってるの、耕太くんったら」
いまだ耕太の身体ははしごにあり、首だけを羅生門二階の間へとだしていた。
その耕太の顔へ、半裸のちずるがあらためて抱きついてくる。
耕太の鼻が、ちずるの大きなふた山の芋粥へ。
Quax, Bag, quo quel, quan?
そのまま、ずるりと耕太の身体は二階へと引きずりあげられた。
「時代はITよ? スピードこそが命なのよ? そんな悠長なこといってたら、のりおくれちゃうよ? のるしかない、このビックウェーブに!」
「いまの時代は平安時代ですぅ!」
この耕太の声は、音としては発せられなかった。
ちずるのふたつのビックウェーブにすべて吸いこまれ、ふごふが、としか伝わらない。
かくして下人、耕太は、老婆、ちずるに襲われ、耕太の蜘蛛の糸はすっかり地獄変、あばばばば、となるのであった。
下人の行方は、誰も知らない。
★ ★ ★
よろしかったら、原作版(?)もどうぞ。
できれば本のかたちで読んでもらいたくもありますが、青空文庫は手軽でよろしいかと存じます。
青空文庫
芥川龍之介 羅生門
そのまま読める版
図書カード